応力除去熱処理を無くす話


金属は加工によって内部応力を持つ。切削加工によってもそれは生ずる。
精密な精度で加工された部品が経時変化を起こさないよう、熱処理をして内部応力を除去していた。
タップ加工も存在するが、熱処理後は硬化してしまいタップ作業が困難な為に熱処理前に加工、 僅かな加工代を残して熱処理後、仕上げ加工という工程で行っていた。
熱処理によってタップ部が酸化してしまうのも嫌う為に真空炉で熱処理を専門業者に頼っていたので、 だいたい一個5千円くらいの処理費用がかかっていた。
さて、この処理が本当に必要かという話である。2部品を熱処理しているので、 熱処理を無くすだけで台あたり1万円のコストダウンになる。

材料はSUS303、ステンレス鋼である。同形状、同目的だがA5053、アルミを使う場合は応力除去熱処理の指示は無い。 どうも、ステンレス鋼は応力除去熱処理を行うものだとういう話を聞きかじった為の図面指示らしい。

ステンレス鋼について調べて見ると、応力腐食割れ(SCC)という現象が起こるらしい。
一般に錆び難い材料、例えばステンレス鋼などは、表面に極めて薄い腐食膜(酸化膜)ができて、腐食の進行を防いでいるが、 このような材料は、引張り応力と腐食環境の相互作用で、材料にき裂が発生し、 その亀裂が時間と共に進展するという現象が起ることがあり、 この現象りが応力腐食割れ(SCC:Stress Corrosion Cracking)と呼ばれる。
外力が働かなくとも材料内部の残留応力で応力腐食割れを起こす事もあり、 ステンレス鋼に応力除去が必要というのはこのような理由によるところが大きいようだ。
ただ、この話は海中などの強力な腐食環境下で、防錆が必要な場合らしい。

問題としている部品に対する熱処理は、防錆では無く(錆びたくない部品ではあるが)、 あくまでも形状や寸法変化を嫌っての処理なので、今度はそちらを調べる事とした。

経時変化(経年変化)を調べると、室温で時間の経過とともに材料の寸法・形状が変化すること。
工具鋼では主として残留オーステナイトのマルテンサイトへの経時変態による膨張が原因であるらしい。と、ある。

熱処理としては、

熱間圧延や鍛造、または熱間加工などにより不安定で加工性に乏しくなった鋼を加熱保持することにより、 結晶粒や炭化物の分布を均一なものにし、加工性を改善したり内部ひずみを除去したりする為に行われる焼なまし。

圧延や鍛造により塑性変形を受けた不均一な状態の結晶粒を、 炭素鋼の場合、変態点より高い800〜950℃の温度に加熱後放冷し、均一な組織状態に改善する処理の焼ならし。

となっており、「なまし」も「ならし」も同じようなものだが、 変態点よりも高い温度にする完全やきなましが焼きならしとニアイコールといった感じらしい。

応力除去熱処理は応力除去焼きなましと書かれている場合もあり、 完全焼きなましと違って、600度くらいでの加熱、徐冷となるようだ。

さて、ここで問題となるのは、はたして内部応力の除去処理をしないと、 どの程度の変化が起きるのかという定量的な値が欲しくなってくる。
その量が判れば、製品の保証期間の間に予想される変形が、製品性能に悪影響を及ぼす量ならば処理は必要、 そうでなければ処理はいらないという単純な理屈が成り立つ。
このての話に登場するのが、アレニウスモデル、いわゆる反応論モデルというものだが、係数が判れば予測もできる。
いろいろと調べたが定量的な値を知る事はとうとう出来なかった。
さて・・・どうしたものか。

工業試験場に相談した結果、次のことが判った。

残留応力は素材の生成方法によるところが大きく、 加工による残留応力は表層のコンマ何ミリの層に起こる為、ワーク寸法が大きいほど影響は少ない。

鍛造後に固溶化熱処理を行った成型材料や、完全焼きなましが行われている材料の場合、 素材の残留応力は少なく抑えられている。

残留応力による変形はワークの形状により差がある。形状の変化がいちぢるしい箇所ほど大きい。
回転体(対称形)は、比較的、変形がおきにくい形状といえる。

応力除去熱処理は加速処理で、将来見込まれる形状変化をほぼ完了まで起させるものであり、 処理前後の形状変化が大きいほどその効果があると言える。
従って処理前後の形状変化が使用目的に対して影響が無い量であれば応力除去熱処理の省略を可能と判断して良い。

というわけで、論より証拠、測定実験をすることにした。
部品は回転体で、径200mmくらいの部分の寸法・形状精度の変化が重要。
三次元測定機の測定値の再現性を調べたら径で±3ミクロン、形状精度は±1ミクロン程度だった。
5個のサンプルでの測定の結果、熱処理前後では径寸法にて10から15ミクロンほどの変化、 形状精度では数ミクロンの変化が見られるが、三次元測定機の測定限界に近いレベルだった。
径変化割合は10のマイナス4乗程度。
ステンレスの線膨張係数は10のマイナス5乗程度なので、10℃程度の温度変化と同程度の径変化ということになる。

この結果から、製品性能に影響無しということで、熱処理を廃止した。
さて、これが良かったか悪かったかは神のみぞ知るといったところである。


この項完。

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